King Crimson 

キング・クリムゾン

〜プログレスし続けるバンド〜



私が曲を作るのではない、音楽が私に曲を作らせるのだ。

私が音楽の持つ深さ、神秘を知ったのは高校生の頃だ。背伸びをしたい時期で、ドビュッシーに惹かれる一方、ロック、それもいわゆる「プログレ」にはまっていた。プログレとは「プログレッシブ・ロック」の略で、1970年代前半にはやったロックの1ジャンルのことだが、私がはまった頃はすでに過去の音楽ジャンルだった。それまでのロックという枠にとらわれないアルバム作り(組曲形式、コンセプトアルバム、等)や、高度な演奏テクニックに裏打ちされた音楽性が特徴で、ロックを、クラシックやジャズなどと同レベルの芸術に高めようとした一派と思ってくれればいい(無論プログレ以外にも高い芸術性を持つ作品は山ほどある)。プログレと聞けばなんでも聞いてみたが、特に御三家といわれたピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンはよく聞いた。フロイドの無意識をさぐる様な曲作りや歌詞には魂の覚醒を意識させられたし、イエスの高度に構築された演奏には驚嘆させられた。そして、彼らプログレの元祖といわれたキング・クリムゾンには、ジャズやクラシックの影響が強く感じられ、「うーん、芸術」と一人悦に入っていた。

しかし、当時聞いていたアルバムを聞く事は今はほとんどない。もちろん、いまでも素晴らしいと思う作品は多い。しかし、どこか過剰な演出が含まれていて、重たくて聞いていられない感じがする。「重厚長大」という印象を受けるのだ。今もキング・クリムゾンは聞くが、それは当時よく聞いていた「クリムゾン・キングの宮殿」あたりではなく、後期のものが中心だ。

    恐竜文化

キング・クリムゾンというバンドはリーダー・ロバート.フリップの私的ユニットに近い。が彼はそういわれるのを非常に嫌う。「民主的ユニットだ」と繰り返し主張し、重厚長大で中央集権的な形態を「恐竜文化」として批判してきた。そして、その「恐竜文化」に取って代わるものは、ねずみのような「小さくて小回りの利く知的ユニット」だというのである。それを証明するかのように、フリップはキング・クリムゾンを「恐竜」から「ハツカねずみ」へと進化させてきた(最も彼に言わせれば「キング・クリムゾン」が自分達を進化させたと言うだろうが)。そして彼はこうもうそぶく。「私が曲を作るのではない、音楽が私に曲を作らせるのだ」と。

   超人的な傑作!

キング・クリムゾンは、私の生まれた年、1969年に衝撃的デビューを飾った。「すごいバンドがデビューするらしい」という噂はアルバム制作時から流れていた。というのも、デビュー前のクリムゾンは当時のトップバンド、ムーディーブルースの前座をつとめていたのだが、前座が真打を食ってしまい、クリムゾンとの契約をムーディー側が一方的にキャンセルしたという事件があったからだ。さらにはローリング・ストーンズがクリムゾンをコンサートのサポートに指名、ビートルズが彼らの録音を見学に来る等、期待は頂点に達していた。そんな中発表されたデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」は期待に違わぬ素晴らしい出来で、ビートルズの「アビー・ロード」を蹴落として全英1位に輝き、ロックファンを唸らせた。

衝撃のデビュー作「クリムゾン・キングの宮殿」1969

         

ザ・フーのリーダー、ピート・タウンゼントはこのアルバムを聞いて「超人的な傑作!」と絶句したと伝えられている。ロマンシズムあふれる歌詞、ロックの金字塔とも言われるヘビーな「21世紀の精神異常者」から、フルート、メロトロン、等の楽器を効果的に用いて、クラシックかと聞きまごう「クリムゾン・キングの宮殿」・・・。ここに、早くもクリムゾンは最初の絶頂期を迎えるが、まだR・フリップの方法論が確立されていない時代、デビュー作のプレッシャーや人間関係やらで主要メンバーはフリップのもとを次々と去っていった。第1期と呼ばれるこの頃、フリップは他に3枚のアルバムを制作するが、「宮殿」を継承しようとする流れと、新しい音楽を創造しようとする流れをうまくコントロール出来ていない印象が強い。そして、1972年、一旦クリムゾンは解散する。

  2人の天才の出会い

自由になったフリップに、転機が訪れた。B.イーノとの出会いである。イーノもちょうどロキシー・ミュージックを脱退し、次を探っていた一人だった。この2人の天才の出会いが、その後の2人を決定づけたといえるだろう。この後の数年間に、2人は天から啓示を受けたように、今まで誰も作った事のない音楽を発表しだすのである。

フリップ自らベストプレイと公言してはばからない、「ノー・プッシィフィッティング」FRIPP&ENO (1973)

   神聖な時期

第1期クリムゾン解散から半年後、突如フリップは第2期クリムゾンの再結成を宣言する。B.ブラッフォード(ドラム)、J.ウェットン(ベース)、J.ミューア(パーカッション)、D.クロス(バイオリン)と、フリップ以外のメンバーは一新され、フリップの意図通りのバンドが実現されていたといえよう(しかし、素晴らしすぎるメンバーだ・・・)。全編を秘教的雰囲気が支配し、独自に研究したという白魔術の影響も垣間見えるフリップのギターは、超人的な響きで我々の心をかき乱す。ブラッフォードのドラムはスリリングこの上ない!以前のように曲という枠がしっかりあった上での演奏ではなく、インプロビゼーションを主体とし、曲の流れに配慮しつつも、各演奏者の自由な判断を重視した演奏スタイルは、「恐竜」文化からの脱却を高らかに宣言したのだった。     

最高傑作「太陽と戦慄」
超難易度プレイ続出の「暗黒の世界」
神聖にして荘厳な「レッド」

  

第2期クリムゾンの活動時期は1973年から1975年の2年間と短く、アルバムも「太陽と戦慄」、「暗黒の世界」、「レッド」、3枚しか発表していない(「USA」を入れると4枚)のだが、この3枚で人生を狂わされた人がどれほどいることか! この2年間は、クリムゾン錬金術が最も有効に働いた期間であり、クリムゾンファンにとっては神聖な時期なのである。これぞ、まさに「音楽の神秘」だ。

   そして、「レッド」発表後、第2期クリムゾンは解散する。置き土産として、ライブアルバム「USA」を残して・・・。(長らくこのアルバムは廃盤となっている)

金のプレートを手にし、錬金術が成功したことを宣言した幻のライブアルバム「USA」(1975)

 

  ニューウェーブサウンド

第2期クリムゾンを解散させた後、フリップはパンク・ニューウェーブに接近する一方、P.ガブリエルのプロデュース、B.イーノ、デビット.ボウイのアルバムに参加するなど多彩な活動で鋭気を養う。

フリップがギターで参加したデビッド・ボウイの傑作「heros」1978
フリップの傑作ソロアルバム「エクスポージャー」1979

そして、1981年に、トーキング・ヘッズのA.ブリュー(ギター)、P.ガブリエルのバックをつとめていたT.レビン(ベース、スティック)、第2期からの盟友B.ブラッフォード(ドラム)らと第3期クリムゾンを再結成する。このバンドは、以前のクリムゾンサウンドを期待したファンからかなりの批判を浴びた。つまり、第2期のスリリングかつ重厚なサウンドを期待したのに、出てきた音は重心がなく、きっちり計算された編み物のようなニューウェーブサウンドだったからだ。しかし、この第3期のフレシキブルなメンバー構成と演奏は、今聞くと自由度が高く、第2期には、まだ引きずっていた「恐竜」っぽさの悪い面が払拭されている事がわかる。インプロビゼーションは影を潜めたが、その分、うねるような複雑なリズムと、それに絡みつくようなツイン・ギターが堪能できる。この複雑なリズム構成がたった4人のメンバーで保たれているとは、驚きである。演奏技術は確実にアップしている(まだアップする余地があったのもすごいが・・・)。第2期からクリムゾンはまた成長したのだ。

複雑なリズムに絡む高度な演奏が度胆を抜く「ディシプリン」1981

どうやらフリップはクリムゾンを研究や鍛練の成果を発表するユニットとして活用しているようで、今回も「ディシプリン」、「ビート」、「スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア」の3枚を発表した後、解散している。特に「スリー・・」のタイトルなど確信犯的だ。

フリップはその後、「ギターセミナー」を開校し、独自に開発したギター奏法の伝授にかかる。そして、そこで見出した優秀な生徒達(日本人もいる)と共にツアーに出かけたりと、かなり多忙な毎日を送った。「いつクリムゾンを再結成するんですか?」ときかれても、「それはクリムゾンが決める事」と煙に巻いた。この間特筆されるのは、D.シルビアンとのユニット、シルビアン&フリップであろう。そのサウンドは、新しいクリムゾンと言われても遜色ない、素晴らしいものだったからである。(実際フリップはシルビアンをクリムゾンに誘ったらしい)

ダンサンブルなビートが新鮮なシルビアン&フリップの傑作「the first day」(1993)

 

 ツイン・ギター、ツイン・ベース、ツイン・ドラム!! 

 

1995年、またまた成果を発表する時期が来た。メンバーは第3期の4人に、ギターセミナーの生徒トレイ・ガン(スティック)、オーディションで採用したP.マステロット(ドラム)が加わり、なんと、ツイン・ギター、ツイン・ベース、ツイン・ドラムが実現したのである。様々な憶測が流れた。いわく、別々の旋律を2つのバンドが演奏し、お互いに響き会う構成になっている云々・・・。そんな中発表された、プレリリースアルバム(スタジオ・セッション)「VROOOM」の衝撃は、誰もが「クリムゾン・キングの宮殿」、「太陽と戦慄」を思い起こされた。噂とは違うサウンドだった。しかし、第2期のヘビーで運命論的な雰囲気や重厚なサウンドと、第3期のフレシキブルなリズム構成が共存したサウンドは、ファンを興奮させた。そして、正式リリースされたアルバム「THRAK」の完成度は「VROOOM」を軽がると超える驚くべきものだった。過去のクリムゾンの要素が凄まじい完成度で統合された上にも新たな地平を見せるそのサウンドは、新しいクリムゾン時代を高らかに宣言するものだったのである。

「太陽と戦慄」レベルの衝撃度の「VROOOM」1994
新たな代表作「THRAK」1995

敢行された世界ツアーの日本公演に私は2度足を運んだ。そして、この目で確認したのだ。このバンドの演奏技術が、過去のクリムゾン史上最高だという事を。ツアー後リリースされたライブ・アルバム「ライブ・イン・アルゼンチン」も、その期待を裏切らない素晴らしいものだった。生きてて良かった・・・。

ボリューム満点の2枚組ライブアルバム「B'BOOM ライブ・イン・アルゼンチン」(1995)

 

 太陽と戦慄W 

 

その後、しばらくフリップ達6人はクリムゾンとしての活動を休止し、「プロジェクト・シリーズ」と呼ばれるアルバムを何枚かリリースする。 プロジェクト・シリーズとは、クリムゾンを構成している6人をもとに、すべてメンバー構成が違う4つのユニットでアルバムを製作するというもので、 もちろん、クリムゾンが新たに進むべき道を開拓するという目的があってのことだ。

その活動の中で、エレキ・ドラムの使用をめぐる意見の食い違いから ドラムのビル・ブラッフォードが抜け、トニー・レビンも去り、R.フリップ(ギター)、 A.ブリュー(ボーカル、ギター)、T.ガン(ベース、スティック)、P.マステロット(ドラム)の 実質的に4人となった時点(2000年5月)で、彼らは2枚のアルバムを発表する。 1枚はPROJECT X名義の「HEAVEN AND EARTH」であり、 他方は待ちに待ったクリムゾン名義の新譜「the construKction of light」である。

壮絶なインプロビゼーション!「HEAVEN AND EARTH」PROJECT X(2000)
「the construKction of light」(2000)

この2枚のアルバムはペアとして捉えるべきもので、 「HEAVEN AND EARTH」がインプロビゼーション主体であり、 「the construKction of light」が曲として完結したものが収められている。 どちらもこれまでのプロジェクト・シリーズの成果が発揮された素晴らしい作品である。 特に、「HEAVEN AND EARTH」を聴いた後に「the construKction of light」を聴くと、 フリップ達が目指したものが体感できるだろう。 それは、ノイジーかつメタリックで高度なテクニックに裏打ちされたガレージロック、 とでも形容できるものであり、クリムゾンの更なる進化を高らかに宣言する内容となっている。

また、特筆すべきは第2期の「神聖な時期」に発表された名曲の続編が「the construKction of light」に収められた事である。その曲とは「太陽と戦慄パートW」と「FracKtured」である。  「太陽と戦慄」は、パートTとUが73年発表の「太陽と戦慄」に、 パートVが84年発表の「Three of a Perfect Pair」に収められており、 クリムゾンが進化する過程において、 必ず立ち戻るクリムゾンのテーマと言えるシリーズである。 よって「the construKction of light」にパートWが収録された事は、 ある程度予想できた事ではあった。  他方、「FracKtured」は74年発表の「暗黒の世界」に収められた「Fracture」の続編である。 「Fracture」はフリップが「最も演奏する事が困難」と公言してはばからない曲であり、その続編ということでかなり話題を集めた。 その内容は、どちらも演奏技術は更に高度になり、 すさまじいとしか言いようのない怒涛の演奏が繰り広げられている。 ただ、オリジナルにはあった、 頂点にむけて徐々に上り詰めて一気に音の洪水で終末を迎える、 という緊張感がなかったのはいかにも惜しい。 最も、これは過去の栄光を現クリムゾンに求めてしまう私の悪い癖なのかもしれない。 80年代の第3期クリムゾンに触れたクリムゾンファンの多くが拒絶反応を示し、 しばらくしてからその真価に気づいたのだから・・・(私もその一人)。

 

 許してくれ、マステロット・・・ 

 

クリムゾンは新譜を発表後、厳しいリハーサルの後にワールドツアーを行う。 2000年10月7日夕方5時、私は渋谷公会堂にいた。 無論、クリムゾンのライブのためにである。 (80年代の来日以降、フリップは日本を重要なマーケットとして認知しており、 必ず来日してくれるのがうれしい。) 1曲目は「RED」。重機関車のようにバンドを引っ張るマステロットのドラムに私は腰を抜かした。 ビル・ブラッフォードはいないし、「FracKtured」はさすがにライブで演奏するのは厳しかった、 という噂も耳にしていた。 「ま、行かにゃなるまいて」といった気持ちが強かったと思う。 しかし、クリムゾンはやはり進化していた。 私はまたまた、それを目の前で確認させられたのである。 「FracKtured」も素晴らしい内容であった。 1曲目のテンションそのままに演奏を引っ張るマステロットのドラム、 フリップのギターは相変わらずの超絶技巧、それに絡み付くブリューのギター、確かに支えているガンのスティック・・・。実に満足できるライブであった。 「クリムゾンのドラムはビル・ブラッフォードじゃなきゃ」と私は思いこんでいた。 過去の栄光を現クリムゾンに求めてしまう悪い癖が、またまた出てしまったようだ。 許してくれ、マステロット・・・。君はまぎれもなく、クリムゾンのドラマーだ。


         

    10月7日のライブでゲットした直筆サイン色紙。人柄がしのばれる。

 

 クリムゾンは何処へ・・・

 

循環しつつ、変化してきたクリムゾン・・・。フリップは次に何を提示するのか・・・。きっとまた、心地よい裏切り感を我々に与えてくれるに違いない。導師フリップのお導きに、あなたも触れられてはいかがだろう

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