障害者の自立とは



はじめに・・・。

 私は大学院時代から「障害者の自立生活を実現する会」という会で活動しています。そういう話を初対面の人にしますと、大体決まって、「じゃあ、施設にボランティアにいくんだ」、とか、「作業所の手伝いとか?」、「なかなか出来ない事ですよ」などとおっしゃいます。要するに、障害者といえば、施設か親元にいるもの、仕事は作業所でするもの、そして、障害者=かわいそうな人達=やさしい人のみが付き合う特別な人、という先入観があるのです。TVなどでも、障害者のそういう側面しか映りませんし。そういう方達は、特に悪気があるわけではなく、単純に「いいことしてるんだねえ」という事が言いたいんだと思いますが、そうした一般の人の先入観が、障害者差別の土壌となり、彼らの自立を妨げているのが現実です。それを知っていただきたいと思ってこのページを作りました。障害者問題は他人事では済まされない問題です。関心を持っていただけたら幸いです。

このページでいう「障害者」が受ける差別とは

 障害といっても、身体障害と知的障害の2つに分けられ、同じようには議論できないはずですが、両者はほぼ同じ差別を受けているのが現状です。よってここでは、当面両者を同じく「障害者」と呼ぶ事にします。 一般に障害者が受ける差別には以下のような事例が知られています。

進学 試験にはパスしてもなぜか入学が許可されない。
就職 障害者と分かった段階でほとんどが門前ばらいされる。
結婚 今でも血が汚れると本気で信じている人達がいる。
賃貸住宅 「何かあったら困る」と断られることがほとんど。
各種サービス 駅にエレベータ・スロープがない等、障害者が利用しない事を前提とした公共機関のサービス。
介助サービス 重度の障害者には不可欠だが、不当に低レベルな現状にあり、社会に参加するスタートラインにさえ立てない。


社会に出ようにも、住むところさえ自分で決める事もできないのです。 要するに、障害者は社会に参加するな、と言われているに等しいのです。

その事自体が差別

 「障害者差別」と聞いても、すぐピンとくる方は少ないと思います。なぜなら障害者は、大方、いわゆる「施設」に入れられているか、 親元でひっそりと暮らしているかのどちらかで、我々一般人の目に触れる機会が少ないからです。ですから、皆さんも、ひょっとしたら 「障害者は施設にいるもの」 または、「障害者は施設に入った方が幸せ」と思っているのではないでしょうか? 実はその事自体が差別なのです。 先程、「障害者は、大方、いわゆる「施設」に入れられている」と書きました。実は障害者自身が「施設」に入る事を望む事はほとんどありません。 それは、ちょっとご自分の身に置き換えて考えてみれば分かると思います。誰だって、やりたい事や夢があるはずです。 では、なぜ「施設」に多くの障害者が入っているのでしょう? それは、現代においても、障害者の介助が肉親に押し付けられている からです。しかし、肉親だけで介助するのは大変です。そこで、介助をまとめて効率よく行う為に「施設」が出来たのです。 決して、障害者自身が望んで出来たものではないのです。

 先程、障害者は住むところさえ決められない、と書きました。もし幸運にも望みどおりのアパート等に住む事ができたとしても、介助者の問題は残ります。誰も助けてくれません。行政もせいぜい日に数時間のヘルパーを派遣してくれるだけです。他の人達はしらんぷりです。皆内心、「あの障害者の両親はなぜ面倒をみないのだろう?」と見当違いな関心を持つだけです。そして結局、アパート暮らしは破綻し、施設に送られる羽目になるのです。


「施設」の現状

 「施設」の現状にはひどいものがあります。1日のスケジュールは施設側に勝手に決められてますし、大抵の施設は外出するにも、数日前から許可をもらわなければなりません。「親か親戚の者でないと迎えにきてはいけない」という勝手な規則まであったりします。全く子供扱いなのです。つまり、障害者の人権を無視しているのです。これでは、社会に参加なんて無理です。

 こうして社会から隔離された「施設」で、障害者はどのような扱いを受けてきたのでしょうか?これまでに明らかになっている事を挙げてみましょう。

  • 言葉による暴力。(やっかい者、能無し、こんなにうんち出してばっちい!)
  • 暴力による虐待
  • 虫歯になって訴えても放っておかれた。
  • 通帳を取り上げられ、勝手にお金が引き出されていた。
  • 扱いやすくする為に、勝手に安定剤や睡眠薬を多量に投与された。
  • 勝手に臓器を摘出された。

 全く、ひどいものです。弱い立場にいる障害者に対して、それをいい事にしたい放題です。私の周りには、こうした施設に我慢できずに逃げ出してきた人が沢山います。

 では、施設に入らず親元で暮らしている障害者はどうでしょうか?障害者の介助を一手に担うほど余裕のある人はほとんどいないでしょう。みんな生活に必死ですから、片手間にしかできません。身体障害者であれば、ほとんど寝たきりといった状態でしょう。そんな状態で、社会参加なんて出来ますか?やりたい事だって、介助してもらう必要があるわけですからほとんどできないはずです。おそらく、楽しみといえばテレビ位しかないのではないでしょうか?


後を絶ちません

 最近水戸パッケージ事件 」というのがありました。発覚のきっかけは、知的障害者を預かった「水戸パッケージ」の経営者・赤須正夫が、 障害者に自治体から払われる雇用助成金をピンハネし、 障害者には月に数千円しか払っていなかったという事件でした。そして次第に恐ろしい実態 が浮かび上がってきたのです。助成金が切れる頃になると、雇うメリットがなくなるため、 虐待し、辞めさせました。角材で思いっきり殴る、 一晩中正座させ、ひざの裏に角材を挟む、などとても正気の人間がやるレベルではありません。そして女性には毎晩のように レイプが待ってました。 「誰にも言うんじゃないぞ。言ったらお前のお母さんにも同じ事をする からな」、こう言われ、ある女性は10年も我慢しつづけたのです。私は実際に被害者の話を聞いた事があります。 その方達の話は本当に私の心を打ちました。「絶対許せない」そう思いました。 しかし、警察は全くお話になりません。「障害者を雇うなんてなかなか出来るもんじゃないよ」と担当の刑事は言ったそうです。 裁判になったのも「助成金詐欺」だけで、数々の虐待については「証拠がない」というのです。彼女達の話もまともに聞かなかったくせに・・・。 一方、虐待された人たちを保護した女性は、裁判所から出てくる赤須正夫につかみかかったというだけで、半年以上も拘留されてしまいました。 ここにも、はっきりと障害者差別を見る事が出来ます。彼らは他に行く所がなかった のです。そして、同様の事件は後を絶ちません


まず介助を保証するいう事

 今の現状では、障害者の人権は全く保証されていない事はお分かりになっていただけたと思います。現代の日本は、国民すべてに基本的人権を保障しているはずです。この現代においてさえ、江戸時代と変わらない境遇に耐えている人がいるのを知ったとき、私は本当に驚きました。彼らは、生まれてから死ぬまで、ほとんど社会に参加する機会が与えられていません。そして、悶々としたものを心の奥に秘めつつ、ひっそりと死んでいくのです。なぜ、このような実態が放っておかれたのでしょうか?それは、基本的に彼らが弱者であり、世の中に訴える手段を持たないからです。そして、彼らが黙っている事をいいことに、国や自治体は「生かさず殺さず」程度の援助しかしてきませんでした。そうしたスキに、水戸パッケージの社長などがつけこみ、これまで多くの障害者がなぶり殺しになってきました。

 ここで、私が言いたいのは、障害者に対して我々健常者と同じ権利を保障するという事は、まず介助を保証するいう事です。そうでないと、「こういう事をしたい」という障害者にチャンスが与える事が出来ず、自立に向けた歩みが進まないからです。

 ここでいう「自立」とは、「誰にも頼らずに生きる」事ではありません。 そんなこと、誰にもできないでしょう。 人は誰であれ、他人に助けられたり、逆に助けたりして生きています。 「自立」とは、その助け合いの輪の中に入るという事です。 子どもは助け合いの輪には入っていません。 一方的に助けられる立場だからです。 障害者差別は、障害者を子ども扱いしている事に大きな原因があると思います。 障害者に介助を保証すれば、彼らは彼らなりのやり方で社会に参加し貢献するはずです。 そうした姿を目のあたりにすれば、我々健常者も障害者を子ども扱いしなくなるでしょう。


我々全員が平等に負っている

 では、障害者の介助はだれがするべきなのでしょうか?ここで、確認しておきたい事は、障害を負ってしまった責任は、当の本人にも親にもない、という事です。先天的な障害であろうが、後天的な障害であろうが、です。(昔は「先祖が悪い事をしたから」とか言われたらしいですが)たまたま彼らに障害が発現したに過ぎません。そして、我々はたまたま健常なだけなのです。誰もが、障害を負う確率を平等に持っているはずです。

 ですから、障害者に介助を保証する義務も、我々全員が平等に負っているはずです。成人した障害者を介助する義務は、特定の人物(例えば肉親など)にはありません。はっきり言えば、国や地方公共団体にあるはずです。しかし、国や自治体の介助サービスの現状はとても満足出来るものではありません。


「障害者の自立生活を実現する会」

 そうした現状の中、障害者はどう自立していけば良いのでしょうか?冒頭に触れたように、ほとんどの人は「施設」に入れられているか、親元でひっそりと暮らしているかのどちらかですが、チャンスに恵まれた人達もいます。自治体と粘り強く交渉したり、介助ボランティアに支えられながら、なんとか独りでアパートで暮らしている人を、私は何人も知っています。彼らは、障害者問題における先駆者です。こうした人達が一人でも多く社会に出てくれば、人々の先入観も自然と消えて障害者にたいする正しい認識が広まり、議会や行政も本腰を入れて取り組んでくれるでしょう。実は、私が入っている障害者の自立生活を実現する会 も、そうしたところを最終的な目標としながら、障害者に介助ボランティアを派遣する会なのです。 よく組織だったボランティア活動に対して批判を受けることがあります。 しかし、障害者が自立する場合、現状ではこうした組織を作らないと無理なのです。 隣人の善意だけで済む問題ではないのです。 (もし隣人の善意で事が済めば、どんなに素晴らしいことでしょう!) 脳性麻痺者や自閉症者に介助者を派遣する一方、障害者問題に関する学習会を開いたり、様々な講演会を催したりして、啓蒙に努めています。学生が中心ですが、主婦の方も大勢いらっしゃいます。私のように社会人もいます。


是非よろしく

 「障害者の自立生活を実現する会」での経験は、私の一生を左右するものでした。そして、少しでもこうした現状を知っていただきたいと思ってこの文章を書きました。皆さんは、この文章を読んで、どういった感想をお持ちになったでしょうか?様々なご意見があるでしょう。実際、いろいろな立場な立場の人と議論すると、こちらが考えてもいなかった様な論点が浮かび上がってくる事がよくあります。ご意見をおまちしています。是非よろしく。もちろん、興味をお持ちになった方は連絡をいただきたいと思います。メールは以下のアドレスまで。

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