O君のこと

ロッカー永田

はじめに

ここでは、僕と自閉症者O君との10年間の付き合いから、O君を理解する助けになると思われることを書いてみました。

O君は、自閉症という障害を負っています。その事にも触れます。

「自閉症」というレッテルでO君を捉えてしまう危険性もあります。しかし、我々があまりに当然と考えている事が、自閉症の人にとってはそうではない場合があります。その事で、O君はいつも誤解されてきました。この文章を書く事で、それを避けたいと考えています。そしてO君がどういう「介助」を必要としているのか、ある程度理解してもらいたいと思います。

人と人との付き合いにマニュアルは要りません。ですが、初めての人と会う場合、相手が男か女か、年は幾つくらいか、程度は知っておきたいでしょう。それによって、大まかな接し方が決まるからです。この文章もそういう意味のものだと思ってください。

 

自閉症とは

自閉症とは、一種の知的障害と捉えられています。症状は多岐に渡ります。他人との関係構築が出来ない、時間の感覚がない、記憶力がいい、同じ事を飽きもせず儀式のように毎日繰り返す、合理的感覚がない、等々。

初めに断っておきますが、自閉症については、まだほとんど分かっていません。原因についても様々な説がありますが、先天的な障害であるという点では一致している様です。つい20年程前には、そうは考えられていませんでした。フロイト心理学は精神障害の原因を、幼児期の親(特に異性の親)との関係に求めるからです。自閉症の5人に4人が男性という事もあって、母親の育て方に原因があるとの説がずっと唱えられていたようです。この頃、自閉症の子供を抱えた母親は本当に辛かったそうです。

 

自閉症の特徴

原因は分からないにしろ、自閉症者の不可解な行動についてはある程度理由が分かってきました。彼らは、世の中の決まり事を了解する事が出来ません。なぜなら、理屈が分からないからです。もっと分かりやすく言えば、理屈を考える事自体がどういう事なのか、彼らには分かりません。

 

自閉症はいわゆる「知能障害(まんべんなく発達が遅れるという意味の)」ではありません。記憶力は普通の人より優れているぐらいです。ところが、不思議な事に、彼らが世の中を理解しているレベルは、12歳の子供程度らしいのです。12歳の子供は、目に見えている世界が全てです。その視界の中に母親がいれば安心し、いなければ泣き叫びます。お菓子が視界に入れば寄ってきますが、その上に何かを被せると、もうお菓子はないと思ってしまいます。視界の外の世界を知らないのです。O君のお母さんによると、O君は、少し大きくなるまで、けっこうそうだったらしいです。

1、2歳児には、時間の感覚もありません。このお菓子は食べたら永久に帰ってこない、昨日食べたものは今日はもうない、今母親は視界の中にはいないが、いずれ帰ってくるから待っていよう、という事が分かってくるのは3歳を過ぎてからだそうです。それまでは、そういう方向で物事を考えられないのです。自閉症の人達も、多くはこの段階らしいです。ですから、彼らは、その時その時の印象で生きています。

 

また、自分と他人の区別がついてくるのも3歳頃からです。その区別ができるまでは、自分の都合だけで生きていたのが、「お母さん」という人が、自分とは違う存在だと分かってくるのです。そうなると、「お母さん」を見ているように、「自分」を外から眺める事も出来るようになります。そうやって、普通は自分を客観視出来るようになるのです(最も、本当に出来る人が何人いる事やら)。

 

「他人」という存在が分かって、初めて「自分」というものを意識出来る訳ですから、自閉症の人には「自分」も「他人」もあまり区別がないようです。極めて主観的な世界に生きてますから、時にはかなりわがままに見えます。しかし、自己を客観視出来ないので、何がわがままで、何がそうではないのか、という視点も尺度もないのです。

「見えない病」1に、こういう事が書いてありました。ブルックシールズ ファンの自閉症の少年が、彼女の主演映画「サハラ」がテレビ放映される度に、見たがって困る、というのです。最初はよっぽど好きなんだろう、ぐらいに考えていたらしいのですが、あまりに度重なるし、友人宅に行ってもその調子だったので、それはわがままだと教える事にしたそうです。そうしたら、見るも忍びない程落ち込んでしまったので、仕方なくまた見せたら、映画が終わるなり、父親にブルックシールズが救出された事を報告したのだそうです。その時の態度から両親は、少年が、自分が映画を見ていないとブルックシールズが悪漢に襲われる、と信じ込んでいる事に気が付いたといいます。これは、かなり主観的な物の見方です。

こうした人達に、この世の中や人間関係のルールを納得してもらう事は、かなり難しいと思います。「納得してもらう」のではなく、「慣れてもらう」ようにしているのが現状ではないでしょうか。

 

特に時間の感覚がない、というのは世の中を了解する上で大きな障害となっているようです。3歳を過ぎると、普通の子供は「なぜ?」を連発します。世の中を了解しようという欲求が出てくるのです。

自閉症の子供にはそれがないようです。「なぜ?」と考える事がないのです。「なぜ?」と考えるのは、時間の感覚が芽生えてからです。なぜ?、の背後には、因果律の概念が潜んでいます。因果律というのは、言葉は難しいですが、要は、何か原因があるから、こういう結果が生じた、というふうに物事を捉える考え方の事です。極々当たり前の事です。しかし、この考え方は、時間が一方方向に進む、という事を理解していないと、出てきません。原因と結果は、時間の順序だからです。ですから、時間の概念さえ持たない人は、「なぜ?」と考える事もないのです。ですから、世の中の仕組み、ルール、人間関係等について、自閉症の人達は了解する事が出来ません。了解する、という事がどういう事かも了解が必要ですから、了解出来ていません。

「見えない病」から

遊んだり、食べたり、使ったり、いったん選んで実際に行った事は、もう取り返しがきかないことを、テッドは理解することも納得することもできなかった。彼は過去を変えられないことに、たびたび気持ちを荒立てた。テッドの癇癪は私たちを悩ませた。彼自身はわからなかったが、それは他人の目には、危険なやっかいもの、と印象づけるようになった。社会はどんな形のハンディキャップよりも、問題行動の方に厳しかった。

<略>メゾホフ博士は説明した。「自閉症の人は怠け者で、行動に動機づけがなく、ひどく依存的に見えます。彼らは簡単な事をするのにも指示を待っています。これらの問題を理解するためには、その基盤となっている精神的・感覚的問題を理解する必要があります。これらの人々は時間の観念に欠けてます。自分の行動を体系づけることができないし、未来の報酬を理解することができません。人を喜ばせる動機がないのです。」

<略>ある先生は、自分の生徒がどんなに退屈しやすいか述べ、そして、それは特定の行動がいつまで続くのか、次の行動までどれだけ待たなければならないのかを予測する感覚が生徒にないからだと考察した。

<略>私たちは皆、現象論的世界に住んでいる。そして原因と結果の感覚を通して関連付けなければ、なんら意味をなさない出来事を目撃したり、経験したりている。しかし、テッドは原因と結果の関係を理解できないので、出来事をその前に起こった事と、そのあとに起こった事に分類する事ができない。彼は自分の持っている普通以上に発達した日付を記憶する能力だけに頼っている。十代の後半になっても彼は人は自分のお母さんより若いはずだ、という事がわからなかった。彼は20人の大人がいる部屋に入り、彼らの生年月日を聞き、それらをすべて覚えて正確に年代順に分類する事ができたが、一方もっともはやく生まれた人は親で、最後に生まれた人はその子供だろう、というようなわかりきった推理もできなかった





 

では、そうした人達には、この社会はどう映っているのでしょう。おそろしく混沌とした世界に見えるのではないでしょうか? 我々が何気なく過ごしている毎日が、彼らにとっては訳の分からない事だらけで、不安の連続なのではないでしょうか? 最近、軽い自閉症の女性の手記が発表され、話題を呼びました*2。まさしく、この本には、自閉症のドナからみた、この世界の不思議が描かれています。一読をお勧めします。

ドナを救ったのはカウンセラーでした。カウンセラーは根気よく、ドナが了解出来ない人間社会の仕組みを説明したのです。ドナは尋ねます、「普通の人はどうやって理解したの?」、それに対しカウンセラーは答えます、「いいえ、ドナ、普通の人は知らない間に自然に理解するのよ。」 ドナはこのくだりを、驚きをもって記しています。





 

自閉症の人達が、ルールを理解する事に障害があるとしたら、どうやって社会に順応すればいいのでしょうか? 今のところ、それは、パターンを記憶する事です。自閉症の人はある生活パターンに固執し、毎日繰り返します。それは、彼らなりの順応だというのです。

O君のお母さんによると、O君はなかなか数が数えられなかったそうです。 1たす1は2 と、10で位が上がる、という2つのルールが飲み込めないのです。ところが、ある日、突然数えられるようになったそうです。そこで、ずっと数えさせてみたら、999まで数えて、次は0だと言ったそうです。それで、ご家族は納得しました。当時買ったばかりのステレオのカセットデッキのメーターが999の次はゼロに戻るのです。O君は数の仕組みを理解したのではなく、カセットデッキを眺めて、999通りの数を順番に覚えただけだったのです。

ルールが分かっていれば、環境が変わってもルールを当てはめて対応する事が出来ます。しかし、パターンを記憶している人は、環境の変化にあわせる事が出来ません。ですから、自閉症の人は環境の変化をものすごく嫌います。同じ事を繰り返す事で、安心するのです。

 

O君と外の世界

 

O君がどの程度の自閉症なのか、僕にはよく分かりませんし、あまり興味もありません。ただ、次の点は、O君が日常生活を送る上で、他人のサポート(介助)を必要としますので、理解しておいて欲しいのです。

 


@ お金等の計算はほとんど出来ない。

A 時間については、単純な順序程度の理解はある。が、少なくとも、人間関係を時間軸に並べて捉える事は難しいという事。

B自分を客観視出来ない、主観的な世界に住んでいる。見えている世界が、唯一。

C回数、時間についての感覚がない。

D因果関係の感覚は持っていない


 

@ お金等の計算はほとんど出来ない。

まず、@についてですが、本筋ではないようですが、O君がものすごく気にしている事です。出来ない事を気にしているというより、それで責められるのを気にしているのです。O君は計算は苦手ですが、数に関する記憶は凄いので、一見すると、計算も得意そうに見えるのです。「300円の物を買って1000円出したから、おつりは700円だったよ」なんて仕組みは理解していないのに言ったりします。それで、いつも誤解されて、責められてきたのです。どこかへ、みんなと出かけるとき、O君は脅迫されたようにお金を心配します。以前の傷ついた過去が蘇ってくるのです。O君は数の意味、お金の意味については分かっていないのです。ですから、側にいる人が、ある程度お金を管理する必要があります。以前僕が「知的障害者は自己決定権に制限がつく場合がある」と書いたのは、この事が頭にあったのです。

 

A 時間については、単純な順序程度の理解はある。が、少なくとも、人間関係を時間軸に並べて捉える事は難しいという事。

Aについて。O君が、3ヶ月前にA君と喧嘩したとします。2ヶ月前に仲直りしたとします。2ヶ月前から、喧嘩していなければ、2人は仲良しのはずです。O君はそこのところが分かりません。喧嘩した記憶と、仲良しの記憶が、対等に頭の中に並んでいるのです。ですから、O君は、自宅にいるときは、いつも友達との仲を心配し、喧嘩した事を思い出しては、涙を流していました。僕はこういうO君を見て、O君の抱えているものの辛さに愕然としたものです。O君は、ほとんど悩まなくて良い事で、毎日本当に苦しんでいるのです。「この前仲直りしたから、大丈夫だよ」と言っても、納得できないのです。そんなときは、本人が、O君に「君の事大好きだよ」と笑いかけるしかないのです。実際、O君が「実現する会」のミーティングに出かける理由は、ここにあります。「君の事大好きだよ」と笑いかけられるのを、ただただ待っているのです。ですから、O君を好きな人は、彼に会ったら、まず笑いながら、声を掛けてください。これは、特別扱いでも、甘やかしているのでもありません。彼は人間関係の機微には、ほとんど無縁です。目に見える印象の世界に、彼は生きているのです。

 

B自分を客観視出来ない、主観的な世界に住んでいる。見えている世界が、唯一。

Bについて。Aでほとんど言ってしまいましたが、O君は、自分を客観視出来ないし、他人と自分との区別があまりついていません。A君はA君で、O君の事情とは全く別の事情を持っている事が、了解出来ていないのです。ですから、他人の事も、自分の都合と結び付けてしか考えられません。当然、かなりわがままに見える時もあります。というか、そうした時は実際わがままそのものなのですが、そこから客観的な見方へ移ることができないのです。大好きな人の機嫌が悪いだけで、自分は嫌われたと考えるし、機嫌が良ければその逆です。でも、大抵、普通の人は笑っていませんから、それだけで、O君は嫌われたと思い込んでしまうようです。そう、ここでも、O君は傷つかなくて良い事で、毎日傷ついているのです。AとBについては、(O君にとって)信頼できる人間がそばにいて助言をすることである程度はクリアすることが出来ると思います。特に夜はO君にとって苦しい時間なので、泊まり介助に入った人と話をするだけでもかなり違うと思います。

 

C回数、時間についての感覚がない。

Cについて。O君は1日に何回も電話してきたりします。回数についての感覚がないのです。123回の電話が、常識の範囲でしょうが、それが分からないのです。そういう時は、あいまいに「あまり電話しないで」とか、「夜遅くは困る」とか言わないで下さい。抽象的な内容は、かえって混乱を招きます。「1日に3回まで」、「夜10時を過ぎたら駄目」、など出来るだけ具体的に説明して下さい。同じく、「ちょっと待って」、「また今度ね」、なども避けて下さい。

 

D因果関係の感覚は持っていない

 O君は、人に嫌われても、なぜ嫌われたのか本当には理解できないようです。因果関係で物事を捉えられないし、相手の立場に立って考えることができないからです。人間関係の積み上げがないので、同じ失敗を繰り返してさらに問題を大きくしたりします。同様に人を喜ばせる事も得意ではありません。ただ、強調しておきたいのは、「人に嫌われたくない」とか「人を喜ばせたい」という欲求はものすごくあるのです。そこがO君の辛いところでもあるのです。嫌われた記憶や、喜ばせた記憶が何の脈絡もなく、O君の頭の中に雑然とインプットされているのです。そして、O君は何とか過去の記憶を手がかりに、他人と仲良くなろうともがいているのです。そうしたとき、その過去の記憶を一緒に整理してくれる人が側にいれば、O君にとってなんと心強いことでしょう!

 

最後に・・・

これまでの文章は、下の参考文献と、僕の体験から得られた私見です。O君の介助に入る方や、O君と仲の良い方のことを考えて書いてみましたが、まだまだ、書き足りない事がいっぱいあります。ミーティングで時々、介助反省会や、学習会を行っているので、その時皆さんと話せたらなあ、と思っています。機会があれば、是非参加して下さい。よろしくお願いします。

最後に、O君の苦しみが、この文章で少しでも少なくなる事を祈っています。

 

参考文献

 


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