これまでやってきたボランティア(=気楽なボランティア)感覚では介助が続けられなかった理由について考えてみたことを書こうと思います。
一言で言えば、ボランティアをする者に負わされる責任感の大きさの違いからです。
介助における責任感はどこから生まれてくるか。
- 人間の命に直接関わる行為であること
- そのことをボランティアを行う者(介助者)が承知していること
- 介助者という自分の存在は障害者の生活を左右しうる存在だと実感していること
- 他に頼れる機関がないこと。介助者がその障害者から離れれば、死ぬか、施設か、最低限以下の生活を送るしかないことを知っていること。
わたしがやったことのある他のボランティアとの一番の相違点は、障害者(全身性障害者)のいのちを直接保障する立場として関わることになるために、求められる責任感の大きさが全く違うという点でした。特に人数が少ない障害者個人の介助団体ではその傾向が強くなるように思います。
無責任だと思われるのが嫌だったこと、ローテ係やよく介助に入っている人に引け目を感じるのが嫌だったこと、介助者(=友人)から非難されたり、気まずくなるのを恐れたため。
これらが、わたしにとって比重を占めていた断れない理由でした。
しかし、これだけではどうして自分が会員を「やめたい」のに「やめられない」という矛盾した状況をつくりだしていたのかという問いに対して十分に説明しきれてない気がします。当時の心境をもう少し分析してみようと思います。
障害者=強者、介助者=弱者!?
一般的に「社会的な強者=健常者、弱者=障害者」として認識されています。 一方、わたしが介助者として自立生活をしている障害者と関わるようになって感じたことは『自分はこんな社会をつくってしまった差別者の一員なんだ』という安易な自責の気持ちです。特に障害者問題に対する強い意識と主張を持っている障害者に対しては、わたしが健常者(差別者)であるという弱みを握られているような感じがして、はじめのころわたしは障害者に絶対逆らえない立場の存在という気がしてました。つまり、当時わたしの介助関係において「心理的な強者=障害者、弱者=介助者」だったのです。
今考えると、障害者に対して潜在的に引け目を感じていたことが「やめられない」という無力感に結びついていたように思います。その引け目について書くと、
・介助することに否定的な感情をもつ自分が悪いと思っていた
健常者である自分が障害者の介助をするのは当然のことだと言われたら反論できないと分かっていたので、どうしてやめたのか聞かれたとき何も言えず惨めな気持ちになる気がしていた。それならそのままの状態で聞かれることを避けるほうが簡単に思えた。
・介助を完全にやめると、差別者としての烙印がおされてしまうような気がした
障害者の介助をすることで、無意識のうちに差別する側であるという罪の意識を拭い去ろうとしていたのかもしれないと思う。小さな善意だと思っていたものには、無意識のうちに差別者の一員であるがゆえの償いという意味も含まれていたのかも。
このような心理的背景が"やめたい"と"やめられない"のはざまで孤立する一つの要因になっていたと思います。