さようなら三船敏郎!
また、僕にとって、大切な人が死んだ。
1992年に長岡光徳が肺炎を悪化させて死んだ。
1994年にはフランク・ザッパが癌で死んだ。
そして、1997年12月24日、三船敏郎が死んだ。享年77歳だった。
ミフネは、海外でも有名な俳優だった。
「三船敏郎がクリスマス・イヴに死去」と、アメリカの有名な週刊誌「TIME」に大きく出ていたし、葬式には、世界各国から弔電が舞い込み、皮肉にも、あらためて、世界のミフネを知らしめる結果となった。
「フランスからは、シラク大統領、アラン・ドロンからも弔電が寄せられたという事です!」、と若い女性アナウンサーが原稿を読み上げているのを見て、僕は訳もなく、「きっとこの人、三船のこと知らないんだろうなあ」と思っていた。
こういう時、ファンというのは複雑なもので、急に騒がれ出すと、冷めちゃうものだ。それはおそらく、(急に騒ぎ出した人が)その本当の価値を理解しているとは思えないからだろう。
簡単に三船の生涯を追っていこう。
三船は1920年4月1日、中国青島に生まれている。当時青島には外国人が多く住み、後に彼は「ちょっとコスモポリタンぽい雰囲気を持った所でした」と語っている。西洋人に対して物怖じしない彼の基礎はここで形成されたとみるべきだろう。
成人した彼は海軍航空隊に入隊するが、出番なく終戦。職にあぶれ、苦し紛れに、東宝の撮影助手に応募する。なぜなら、実家が写真屋だったからだ。ところが、その書類が東宝のニューフェース募集の方に間違って行ってしまったのが、デビューのきっかけであった。「男は顔で売るような事は仕事はするべきじゃあない」とふてくされる彼。そんな彼が、生涯に146本(その内外国映画に15本)も出演する国際俳優になろうとは!
三船がその才能を開花させたのは、やはり、黒澤明監督と出会ったからだろう。
「羅生門」で世界に衝撃を与え、「7人の侍」では世界を降参させ、「用心棒」では西部劇のヒーローになり、「赤ひげ」ではついに理想の人間像を造形していった黒澤と三船。
黒澤は、三船を回想してこう語る。
「三船は、日本映画界でこれまでに類のない才能であった。特に表現力のスピードは抜群で、ずけずけ、ずばずばした表現は秀でていた。そして、繊細で細かい感性もあわせ持っていた。」
順調に才能を磨いていった三船は、三船プロを設立、映画製作に乗り出すと共に、「赤ひげ」後は海外進出に熱心になる。「グラン・プリ」ではジェームズ・ガーナー、イブ・モンタン、「レッド・サン」ではチャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンらと共演し、日本人の喝采を浴びた。そして、遂にはアメリカの連ドラ(「SYOGUN」すごい視聴率だったそうな)に出演するという離れ業もやってのけている。
しかし、彼が世界的に有名なのは、こういった海外での活躍のせいではない。蒸し返すが、やはり、世紀の巨匠黒澤明と組んだ16本の作品がすごすぎるからである。別表にあるが、どれも素晴らしい作品だ。一本一本が、水準レベルを遥か下に見下ろす高みにつけている。珠玉の傑作ぞろいだ。17年間で16本というハイペースで、このような高密度の作品を生み出した監督、俳優は、映画史上、他に見当たらない。私は黒澤映画を見て、真の映画がどういうものか知った。そして、黒澤映画に出ている三船を見て、自分の居場所をたしかめたものだ。
公開年 作品名 三船の役
昭和23年 「酔いどれ天使」 実はさみしがりやのヤクザ
昭和24年 「静かなる決闘」 事故で梅毒に罹った医者
昭和24年 「野良犬」 ピストルをすられてしまう新米刑事
昭和25年 「醜聞」 (観てません)
昭和25年 「羅生門」 強盗
昭和26年 「白痴」 ある女性を偏執的に追い回す粗野な男
昭和29年 「七人の侍」 百姓なのに侍を気取る中途半端な男
昭和30年 「生きものの記録」 核の恐怖で気が狂う老人
昭和32年 「蜘蛛ノ巣城」 主を殺害する野心的な男
昭和32年 「どん底」 貧乏に負けて逃げ出す男
昭和33年 「隠し砦の三悪人」 姫を守りとおす頼り甲斐のある男
昭和35年 「悪いやつほどよく眠る」 父の復讐に燃える男
昭和36年 「用心棒」 腕っぷしが強く頭のいい男
昭和37年 「椿三十郎」 腕っぷしが強く頭のいい男
昭和38年 「天国と地獄」 息子を誘拐される父親
昭和40年 「赤ひげ」 理想的な医者
この表を見ても分かるが、黒澤は様々な役を三船に与えて、三船を引き上げている。そして、三船は見事に、黒澤の期待に応えてきた。そして、人間としての理想を三船に与えた後、黒澤はぱったりと三船を起用しなくなる。その理由は黒澤に語っていただこう。
「三船君とはありとあらゆる試みをして、共に映画を創ってきた。やれることはすべてやったつもりで心残りはない。もう二度とあの才能に会う事が出来ないのはなんとも淋しい。」
近い将来、次は黒澤が死ぬだろう。そのことを考えると、つらい。が、向こうで三船が待っていると思うと、羨ましくもある。
三船は、天使のように細心で、悪魔のように大胆で、さみしがりやで、照れ屋で、大酒飲みで、酔っ払った勢いで「黒澤のばか野郎!」と怒鳴りながら空砲を撃ちつつジープで黒澤家の周りをグルグル回って、努力家で、台本は決して本番には持ってこなくて、胸板が厚くて、かっこよくて、ちっとも偉ぶらなくて、浮気して子供作って、浮気相手に捨てられて、奥さんのところに戻ったら奥さん死んじゃって、2回もベネチア映画祭で男優賞もらった人なのだ。
つまり、僕にとって三船は永遠なのだ。
三船さん、長い間お疲れさま! そして、本当にありがとう! 大好きだったよ、あなたの事。